【映画】最終絶叫計画
【邦画】横道世之介
同級生、友達、好きだった人
「横道世之介ってやつがいてさ」
前情報一切なしで観たんですが、「さわやかな青春群像劇かな?」と思ってたので、だいぶミステリタッチで驚きました。最初時系列がバラバラになってるのに気づかなかった。
穏やかで激しい波があるわけでもないのに引き込まれる不思議。
俳優陣美しすぎ問題
高良健吾が美しすぎるせいで、平凡な男感がない!けど、動作とかセリフとかがきちんと平凡な男をしてる。昔観たらバカだなってイライラしたかもしれないけど、歳をとった今だと可愛らしいよ…。
吉高由里子は話し方があまり好きじゃないんだけど、この作品だと超可愛い!
浮世離れしたお嬢様感がすごいよかった。だから現代でふつーの人っぽくなっちゃってたのがすごい残念だったなぁ…
綾野剛はゲイ役多いですね。
「あの人今、何をしているのかな」
SNS全盛の今、その問いは秒で答えが出る時代ですね。歴代恋人とか職業とかもわかりまくって情緒もへったくれもなくてとても良い。
私も「昔の同級生だったあの子、今何してるのかな」と思ってフェイスブックで検索しようとしてみたことがありますが、一人の名前も出てこなかったので全く調べることができませんでした。過去を捨てた女だから仕方ないとはいえ…
因縁の相手を調べると心臓に巻いたジャッジメントチェーンが作動して死ぬので、そちらもやってません。
【映画】ジュマンジ
今すぐ割って燃やせ!!!!
埋めるとか沈めるとかダメ!!!!今すぐ割って燃やせ!!!!!
というのが一番最初の感想でした。
あと色々起こる前にサイコロ振りまくったらダメなのかな。
というふうに突っ込みながら楽しく観れるいい映画でした。
えらく見覚えのある美少女だと思ったらキルスティンダンストだった。この人は本当に顔が変わらず、そのまま成長したんだなー
「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」の時もそのまんまだったもんな。
ロビンウィリアムズは少年の面影を残した笑顔の演技がすごい。
私生活が荒れてたらしいけど、なんとなくわかる。
普通の生活ができる人には出せない表情のような気がするのは、彼が優れた俳優だったからなんだろうな。
ほぼ自殺のような死に方をした人でも、映画の中ではきらきらと輝いている。
それが俳優のすごさで、映画が存在する意義の一つなんだろう。
【映画】シェルブールの雨傘
「あなたの雨傘はわたしよ」
一卵性の母と娘、恋人ではなく母親を選んだ娘のお話。
どうもこのお母さん、問題から目を背けがち。
お金がなくて自分の店が潰れそうだという時に「髪型を変えれば…」とか言って美容院に行こうとするのなんかもう、見てられない。
(しかしその後の髪型も変わってないママである)
娘の恋人との年齢を理由に反対してるけど、娘の結婚相手が気に入らないだけ。
娘が金持ちな紳士に見初められたらさっさと結婚させるし。
本当はその相手と自分が結婚したかったのを、娘を使って叶えてるのが嫌な感じです。
ジュヌヴィエーヌを見初めた宝石商、妊娠しててもあっさり結婚するって言うあたりほんとすごいね…
「この夢はあなたとじゃないと叶えられないものではない」
けどそんな母親も娘も悪いとは思えないんですよ。女性が抱いていい夢なんてほとんどなかった時代だろうから。
恋人のギイの夢は「ガソリンスタンドを持つ」なのにヒロインであるのジュヌヴィエーブの夢は「子供の名前はフランソワーズ」
この「母になることが女の喜び」みたいなのがね!真綿で首を絞められるような気分。
あとその夢、別に相手が誰でも叶えられますよね…
選べる夢と別れ方の違い
ここからは「LA LA LAND」との比較になります。なぜなら「LA LA LAND」の元ネタが「シェルブールの雨傘」であると聞いたからです。(若干ネタバレします)
両作とも「好きだけど別れなければいけなかった二人」がテーマだけど、根本的に違うのが「別れの理由を受け入れられたか否か」
シェルブールの雨傘では兵役(政治)と家庭の台所事情という、自分ではコントロールできない事情が別離の原因だから、彼らは納得できていない。
LA LA LANDは互いの夢と野望を叶えるためという、自分たちで選んだ別離だから、彼らは納得している。(しかも夢を叶えている!)
このアップデートのされ方は本当に好きです。今の自分の生活を肯定できてれば幸せ。そして肯定のためには納得は不可欠。
LA LA LANDがミュージカルじゃない!と批判されてたのはシェルブールの雨傘がイメージソースだという話が広まったせいかも。
なにせシェルブールの雨傘は全編歌いっぱなし!(踊らないのでミュージカルではなくオペラだという話もありますが)
「シェルブールの雨傘」は色使いが本当に綺麗で勉強になるので、たまに見返したいですね。
原色と原色の組み合わせなのに喧嘩してなくて、上品。けど家の果物は超不味そうに見える。なぜだ。
ファッションも可愛くて真似したくなりますね。ジュヌヴィエーヌが着てたコートはバーバリーでした。
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【小説】あのこは貴族
東京に確実に存在するが、秘密にされている貴族と、決して交わらない庶民について
何代も前からお金持ちで、政治家先生もたくさん出ている家の出身で、幼稚舎から慶応。話すと感じがよく優しいが、秘密主義。よく見るとハンサムだが昔からずっと同じであろう坊ちゃん刈り、それが今回の王子様。
オザケンもそんな感じだな…
一部舞台が慶応だから、桐野夏生様の「グロテスク」と通ずるところも。
呪いを断ち切れ革命を起こせ
王子様もお姫様も、単なる舞台装置なので自我はいりません。自我が産まれたら発狂します。
【注意】まぁまぁネタバレします。
結婚は単なるシステムの一つなのに「結婚さえすれば幸せになれてすべて解決」と思わされているところに地獄がある。
いやーよい作品でした!!!貴族階級である華子の察してちゃんぶりにかなりイライラしたけど、その描写も見事だし、ラストの爽快感が最高!
山内マリコさんの作品のいくつかは、王子様を中心にして様々な女の子が周りにいるという構図。「ここは退屈迎えに来て」は読んでて頭を抱えました。
女の子たちは革命を起こして呪いを断ち切れているのに王子様だけは呪いの連鎖に組み込まれたまま。
ざまぁと思うのが半分、「自らを救えよ!お前が断ち切らないと完全なる革命にならないんだよ!」と襟を掴んで揺さぶりたいのが半分。
王子様という存在もシステムの一部だから、自我が目覚めちゃうと王子様じゃなくなるのですが…男の子の方が保守的な傾向は強いみたいですね。
女の子はお姫様から自力で立てる人間になれるんだけど。マイノリティなせいかな。
地方出身アウトサイダーな私は楽しく嬉しく読めたけど、貴族階級の人たちはどんな感想抱くのかとても気になります。
周りに貴族いないから確かめる術がないけど。
創作だとわかっていてもビリーバビリティ(作品の中の説得力)が抜群。
本当に頭にきたのが、祖母が言う「離婚した女は一生不幸になる(立派な男に嫁がないと幸せになれない)」という発言。これは呪い。
自分がなくて人に察してもらわないと生活できなかった華子が、その呪いをぶち壊せたのは本当に嬉しかった。ふふっと笑えるエンドをいつも用意してくれるところがすごく好きです。
【映画】ホーム・アローン
ゲーム「影牢」の元ネタ?
主人公自身は攻撃する術を持たず、敵を待ち伏せて罠にかけて攻撃するゲーム「影牢」はホームアローンがモデルなのかも。
ホーム・アローンは「子供が置いてけぼり!留守番中泥棒きちゃった!どうしよう!?」みたいな展開がサクサク進むんだろうと思ってたんですが、結構じっくり心理描写してるんですね。お母さん頑張る。お父さんもっと頑張れ。
大人が「自律的に動く子供」を描くと「大人にとって大変都合のよい子供」になる矛盾
この映画は子供対子供で、大人にとって都合のいい子が勝つ物語。
泥棒がおもちゃを盗んでるんですよ、これは完全に子供。
カルキン君に与えられた役割は「完璧に善良な子供」
最高の可愛らしさと賢さと、手に負える程度の生意気さを兼ね備えた理想の子供像を完璧に演じている。
そういう「大人が描いた理想の子供像」にカルキン君は押しつぶされたのではないかと妄想しました。
「大人である俺たちの機嫌を損ねることなく、可愛らしく、適度に生意気に振る舞え」という抑圧はグロテスク。
おきまりのドラッグやアルコール依存も「都合のよい子供」からの逃走の表れだったんじゃないかと。
そうでなくても、いきなり脚光を浴びて周囲が変わってバランスを崩しますよねぇ。
親が自分のギャラを巡って裁判するなんて、グレない方が無理。
彼は俳優で人の指示を受けて動く仕事を生業にしていたから発散も難しそう。
その観点からすると、マイケルジャクソンはアーティストとして自分の思いを昇華する術と才能を持っていたので、かなり安定してた方なんだなあと思います。
なぜここでマイケルジャクソンが出てくるかというと、彼も子供のころからショービジネス漬けだったのと、「Black or White」PVにカルキン君が出ていたからです。
マイベストPV。最高にかっこいい。
エマ・ワトソンとかナタリーポートマンとか、女子は髪をバッサリ切るなどでイメージ変えやすいけど、男子はベビーフェイスで売れた場合、イメージを変えるのが難しいのかも。
可愛い王子様タイプは演技力薄っぺらと決めつけられて大成しないし。
(そういうレッテル貼りも酷い)
ブラピやディカプリオはマッチョになったり太ったりしてダーティな役を沢山こなしてからやっと演技派な扱いになったし。
【邦画】菊次郎の夏
北野武主演の映画は初めて。こんなに佇まいがかっこいい人だったなんて!
両津勘吉みたいだなーと思ったら下町の人なのね、そこから知らないレベルなんですよ
あと細川ふみえが夢のようにきれいな女性で驚いた。声も可愛くて天使みたい!
この音楽だけでもう泣くよ
有名なピアノ、久石譲の「菊次郎の夏」のテーマソングなのね。CMソングだと思ってた。
クズは行動がバリエーション豊かだから困る
ばかやろうてめえこんちくしょう(一息に)
北野武演じる菊次郎が、本当に、どーーーーしようもなくクズ。人に迷惑をかけても全然平気。ゆすりたかり平気でやるし、ごね得でなんとかしようとする。いちゃもんダブスタお構い無し。
ジャグリングやタップダンスなど、芸に関する好奇心が強くて飲み込みが早いのも子供っぽい。
優しさは優しさで返される
菊次郎はかつての自分と境遇を重ねた坊やに対しては優しく振る舞るまうようになる。
やってることは相変わらず、ゆすりたかり盗みだから美化してるといったらそれまでだけど。
ありがとうとごめんを初めていうシーンではさすがに目頭があつくなりましたよ。
大人たちが坊やに楽しい思い出を残すべく頑張ったのはきっと、子供の頃「こういう優しい大人たちに会いたかった」という願望もあるんだろうなぁ。
井手らっきょさんが裸で出てくるところ、たけしさんすごく笑いを堪えてたんだけど、これアドリブなのかな。師匠の度肝を抜くために色々やりそうじゃないですか。
なぜ「菊次郎の夏」なのか
この物語の主観も主人公も坊や。でも、タイトルは最後まで名乗られなかった「菊次郎」
これはなぜだろう?とずっと考えながら観てたんですが、おそらく、この二人がともに時間を過ごした最初で最後の日だったんでないかな、と思います。妄想です。
ラストにちょっとだけマッドマックスFRみがありました。行きて帰る物語、告げる名前。
お笑いから映画へ、昇華の方法の変化
「映画を撮るっていうことは自分の履歴書を書き換えているようなもの」と北野監督は言っていましたが。
お笑いという芸は、「普通」「常識」といった軸からちょっとずれたところに発生するものだから、観察眼や視野の広さがないと継続できないもの。観察眼や視野の広さを持っていると、自然と嫌なものも目に入る。
ブラックユーモア(赤信号みんなで渡れば怖くない)である程度昇華してきてはいても、間に合わなかったことも多いのでは。
だから、お笑いで天下を取った北野監督が細やかな情緒の描写をしても特に驚きはしませんでした。流石だなー!と唸りっぱなし。聡い人は大変ね。
菊次郎の夏レビューを見てたら見つけたブログ。こういう展開の文章大好き