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【社会学】断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

沖縄の人々や風俗嬢、外国籍のゲイなど、日本ではマイノリティにあたる人々の語りを分析してきた社会学者が、聞き取り調査の現場や日々の生活の中で出会った「分析できないもの」ばかりを集めた一冊。

どの章も小説のように、さらさらと流れる穏やかな川のような爽やかさすら感じるのは、作者の眼差しの優しさと、多様性を受け入れる、諦めにも近いスタンスのせいか。

多様性を受け入れることは、自らの「諦め」の手綱を自分で握ることなのではないかと思う。

引用したくなる文章がいくつもあった。
いまいるところから離れて、外に出ていく、ということは、強烈な解放感や自由の感覚をもたらすが、また同時に、孤独や不安をともなうことも多い。だから私たちは、たまには帰りたいと思う。帰る場所があるひともいるし、ないひともいるのだが。私たちは、出ていって自由になる話と同じくらい、もといた場所に帰る話に惹かれる。
それから何年か経つが、そのことと「折り合い」をつけることはいまだにできない。ただ、私たちは、人生のなかでどうしても折り合いのつかないことを、笑ってやりすごすことができる。必ずしもひとに言わないまでも、自分のなかで自分のことを笑うことで、私たちはこのどうしようもないものとなんとか付き合っていける。
それはその場限りの、はかない、一瞬のものだが、それでもその一瞬をつなげていくことで、なんとかこの人生というものを続けていくことができる。
完全に個人的な、私だけの「良いもの」は、誰を傷つけることもない。そこにはもとから私以外の存在が一切含まれていないので、誰を排除することもない。しかし、「一般的に良いとされてるもの」は、そこに含まれる人びとと、そこに含まれない人びとの区別を、自動的に作り出してしまう。