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【情報】キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)

マスメディアというメインストリームは、ソーシャルメディアの拡大により収縮していく

 

現在、あらゆる情報量は、需要に対して供給がはるかに上回っている。

youtubeSNSなどによって情報の発信者と受信者の境も非常に曖昧になり、情報を共有する障壁が非常に低くなった。

受け手は「情報を求める」のではなく「増えすぎた情報の中からいかに自分の欲しい情報のみをピックアップするか」という行動をするようになっている。

 

情報を求める人が存在している場所「ビオトープ(生息空間)」に、的確に情報を提供できるかが鍵

以前は新聞・テレビ・雑誌・ラジオの4大メディアと、折り込みチラシやチラシ投函、店舗などの現地にしか情報がなかったが、インターネットにより、情報が共有される圏域が細分化され、俯瞰して観測することが非常に困難になった。

 

情報共有スポットであるビオトープが、どんなユーザーの元で発生し、望まれ、共有されるのか(ソーシャルメディアでは特に、ビオトープの発生から消滅までの動きが恐ろしく早い)を的確に把握することができたら、プロモーションはうまくいく。(至難の技)

 

「大きなビジネス」はもう存在しない

情報の細分化が進む以上、ターゲットの絞り込みが必然的に行われるため、大きなビジネスはもう発生しない。

大きなビジネスを目指すのであれば、アップルのiTunesやグーグルの検索エンジンSNSfacebookのように、「情報流通のプラットフォーム」を目指すしかない。

 

新しいメディアツールが誕生した時にバブルは起こる

映画バブルが起こったのはVHSが登場した時。「家庭でも映画が観れる」というインパクトは凄まじく、レンタルビデオ店が軒並み高価格の映画を揃えた。

PS2によりDVDが安価で家庭鑑賞できるようになってもバブルが起きなかったのは、「すでに家庭で映画を観れる状態だったため、インパクトが薄かったから」

 

90年代に音楽バブルが発生したのは「CDラジカセの普及」が原因。

CDラジカセが安価になりテレビと同じように個室化が進み、結果として音楽CDの購入意欲を促進。

2000年代にはCDは日用品化し、インターネットの出現により音楽文化が細分化していった。

ミリオンセラーを多発する売り上げが高いアーティストの収益で新人を育成するシステムが崩壊した。

優れた楽曲を産み出すアーティストも、音楽を聴く人は減っていないが、ミリオンセラーを産み出すようなマス消費回路が衰退し、楽曲とリスナーを接続する回路が決定的に組み変わった。

 

「物」を買うのではなく、「事」を買う

商品を手に入れるのが目的ではなく「このブランドが存続して欲しいから」「好きな映画だから、再生機を持っていないけどブルーレイを買う」といった応援消費を行う人が増えてきた。

「これが欲しい」という欲求だけではなく、作り手が持っているポリシーや、購入する事で作り手の側に「良いこと」として伝わるというようなことが加味されて、お金を払うという行動につながっている。

逆に、「動物実験に反対しているから」「人種差別的な広告を出しているから」「非常に悪い雇用環境だから」という理由で不買運動をする消費者も存在する。

 

消費行動は「必要だから買う、シンプルな機能消費」と「応援消費などのつながり」の二極化が進む。モノは買われるのではなく、シェアされていく

「機能が欲しいなら貸したり借りたりすればいい」→例:カーシェア

「つながりが欲しいなら、つながれる場所があればいい」→例:イベント

 

ネットは人の過去の言動を透明化する。信頼度が何よりも重要視される時代になってきた

過去のブログやSNSの書き込みをチェックすれば、その人の主張の流れが確認できるようになったため、言っていることとやっていることが違う・意見が簡単に変わるなどが可視化しやすくなってきている。

 

「コンテンツが王の時代は終わった。これからはキュレーションが王だ」

自分が好きで信頼できる情報を流す「キュレーター」をフォローし、大量に流れてくる情報を効率的に情報を選別する時代になりつつある。

また、既存のコンテンツに新しい「視点」を持ち込み、再編集して展開させ、新しい発見を提供するのもキュレーションである。

どんな視点でどんな情報を提供し続けるかが、これから重要になる。(重要になっている)

 

 

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)