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【音楽】So kakkoii 宇宙(小沢健二と私)

こべにさんが小沢健二さんの新譜「So kakkoii 宇宙」について語っていたのに触発されて、私も語りたくなったので語ります。

本当のことを運んでいく ー小沢健二「So kakkoii宇宙」に寄せてー - kobeniの日記

素晴らしい文章なので必読です。

こっちはほぼ自分語りです。
(私私うるせえなって自分で思うくらい)
あと「オザケン」と「小沢健二」と「小沢さん」は使い分けています。

 

 

1995年、西日本で暮らす小学生だった私

当時山を削って作った団地で暮らしていた私は、毎日毎日ボーッと過ごしていました。

鉛筆で紙を塗って虫眼鏡で焼くくらいしかしてませんでした。ほんとに。
テレビではオウム真理教による地下鉄サリン事件のニュースがひっきりなしに流れていて、魔法陣グルグルが特番で流れてしまったとか、そういうことにがっかりしていた馬鹿な子供でした。
(なにせ田舎で電車にはほとんど乗ったことがない&地下鉄がなかったので、恐ろしさがわからなかったのです)
J-POPが大好きで、CDショップでジャケットを眺め、毎週土曜の「夜もヒッパレ」をたのしみにしていた子供でもありました。

 

オザケンに初めて会ったのは「夜もヒッパレ」で、オザケン以外が歌う痛快ウキウキ通り。
プラダの靴が欲しいのそんな君の夢を叶えるため…』明るすぎるフレーズに初めて触れたとき、「貢ぐ男の子なのかな」と思いました。
恋人のために高級な靴をポンと買ってあげられるハイソなお金持ちを知らなかったのです。
その次に小沢健二の音楽を知ったのは「大人になれば」。「痛快ウキウキ通り」と比べるとずいぶんシックで、こっちの方が好きにでした。
触発された詩とか書いてた(恥ずかしい)

 

私は小沢健二さんがオザケンとして王子様をやり、挫折し、日本から出て行ったという流れをきちんと体験していません。1995年の頃の彼は人伝にしか聞いたことがないのです。

 

それから小沢健二が日本から離れたことすら知らず過ごして何年か経ち、高校生のころ、ポップンミュージックに大ハマり。
スギ&レオというキャラクターからフリッパーズギターを知り、彼らの音楽を知ります。
「恋とマシンガン」が日産マーチのCMに使われていた時期でもあり、一気に渋谷系にハマっていきました。


その流れで小沢健二の曲もポツポツと聴いていくうちに、東京は私にとって「はるか彼方の異国」から「憧れの街」になりました。
そうこうしているうちに進路を決める時がきます。そこで初めて東京が「将来の選択肢」に入りました。
地元に嫌気がさしていたので、これ幸いと上京したのが大学生の頃。新幹線の中で「さよならなんて云えないよ」をニヤニヤ聴きながら東京へ。

小沢健二の盟友である岡崎京子を知ったのは大学四年の頃。出会うのが遅かった…。


小沢健二に感じるシンパシー

大学卒業と同時に当時付き合っていた人と結婚をします。

10年間女子校生活で男性に免疫がない&年上の男性に「夫は妻の行動を制限する権利がある」と強く言われると「そういうものか?」と従ってしまう、そんな毎日でした。当然一緒に暮らすのがどんどん窮屈に。
反発する私に対しての束縛と暴言は多くなり、最後は毎日怒鳴り合い。
私が家出する形で別居をはじめ、離婚に応じてもらえなかったため離婚調停→裁判。四年かけて離婚を成立させました。
この時フェミニズムに出会っていなければ、私は地獄の結婚生活を続けていたかもしれません。子供が産まれていたら道連れにしていたでしょう。

 

 

「もしも間違いに気がつくことがなかったのなら?」

離婚成立して一年ほどで、友達である今の結婚相手にプロポーズし一緒に暮らすようになりました。
前の結婚のせいで「男は面倒なことを全部女に押し付ける」と身構えながら始めた生活は、予想が外れて非常に楽しく幸せな生活です。(本当に私は見る目がない!)

楽しい生活がはじまった2017年、ニュースが飛び込んできました。
小沢健二が新曲をリリース!」
正直全然期待していなかったのですが、聴いて衝撃が走りました。
「もしも間違いに気がつくことがなかったのなら?」
—―これ、私のことをうたってる!
(優れた楽曲は聴き手にそう思わせるものです)

小沢健二は日本の音楽シーンからドロップアウトして世界をみてきた。
私は前の結婚相手の理想を演じる生活からドロップアウトした。
私も小沢健二も、間違いに気がついてやり直してから希望を手にしたのだ!

 

そして時は2020

2017年から小沢健二は私の予想に反し、日本で活発に活動してくれました。(本当に私は見る目がないし勘も悪い)
小沢健二ライブしてくれないだろうなー」と思っていたライブにも行けました。しかも妊娠中に。

 

「並行する世界の毎日子供たちも違う子たちか?」

そして突如(復帰してからは常に突如なんですってね)発表された新曲「彗星」を、初めて聴いた時は涙が流れました。

この人は「間違いはやりなおそう!希望はあるよ!」と歌う気なんだ、と。

彗星

彗星

 

悲観主義は気分に属し楽観主義は意志に属する

小沢健二のライブを観た数ヶ月後、無事に出産し育児に専念する毎日になりました。横になって泣くことしかできなかった赤子が、声を出せるようになり、笑えるようになり、物を持てるようになり、うつ伏せになって動き回ることができるようになる。
どんどん進化していく姿に、どれだけ勇気をもらえたことか。

 

今までずっと悲観主義で冷笑ばかりしていたけれど、もうやめよう。希望を手放すわけにはいかない。この子には明るい未来を与えねばならない!(あれっこれ碇ユイが言ってたな?)

 

出産前よりも自由になる時間は少ないのに、インプットもアウトプットも増えました。
そしてまた思うのです「きっと小沢健二さんも一緒なんだ」と。間違いに気づいてやり直したら希望が見えた。
暗く悲観的になりがちな人々を、無力感にひっぱられがちな人々を鼓舞し、意思を動かして言葉を変え、都市を変えるアシストをする。
そんな使命感を、彼は持っているのではないでしょうか。

 

 

歌う、日々の営みを その美しさを kakkoよさを

「so kakkoii 宇宙」は、かつてJ-POPの大半が背負わされた「応援ソング」の変形かもしれません。
90年代の応援ソングは自己啓発ブームに伴ったものですが、「so kakkoii 宇宙」は自主的であり、能動的であるというところが違います。結構重要なところが違います。

 

特に痺れたのは「薫る(労働と学業)」。
「女は若くて可愛くて無知なのが可愛い」と押し付けてくるクソな社会の中で、推しが「君が作業のコツを教えてくると僕の心は溶ける」と歌ってくれるなんて嬉しいですよ。
できることが増える大人の方が生きるには絶対楽しいですしね!

 

薫る (労働と学業)

薫る (労働と学業)

 

余談1

あと私が小沢健二さんに強いシンパシーを感じるポイントのひとつとして、小山田さんという「親友と訣別している」も挙げられます。
これは勝手な妄想ですが、小山田さんはかつて軽率に、小沢さんにとっては絶対に許せないことを言ってしまったんじゃないでしょうか。
小沢さんは小山田さんをシャットアウトしてるのに対して小山田さんはそうでもないあたり。
訣別したけど、チラチラと思い出す。青春を共に過ごしたから切り離すことはできない。
戻ることはできないしそんな気もないけど、懐かしく眺めてから今の生活に戻る。そんな存在はいます。
わかりあえやしないってことをわかりあうのさ。

 

余談2

フリッパーズギターにハマったくせにコーネリアスにはそんなにはまらなかったのは「痛快ウキウキ通りという曲を歌ってた小沢健二を知っていたから」かもしれません。
コーネリアスは小山田さんのアートであり大衆音楽という要素は少ないとも思います。
それに対し小沢健二さんは「大衆音楽をやる!」と決めている気がします。

 

余談3

『僕の彼氏は君を嫌う君からの声に文句いう雑誌記事も投げるその彼氏は僕と結婚し子供産み育て離婚はしていない』

今の私の結婚相手は最高ですが、小沢健二さんの文章を見聞きすると「上から目線すぎる」と顔をしかめます。
毎回「えっ上の世界の人だし…仕方ないよ…」と言うしかありません。

子供はSONGSの小沢健二さんを観て大喜びで踊り狂っていました。私と男の好み一緒かよ。(女の好みは確実に一緒です)

 

 

 

So kakkoii 宇宙

So kakkoii 宇宙